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ドキドキぼーいず『愛と退屈の国』

〜本間広大 作・演出『愛と退屈の国』〜

文・野村明里








現実世界のリアリティの欠如。
シャワ-の蛇口をひねって透明な液体が出てきて、それが冷たいのか熱いのか判断できない皮膚感覚のような、世界と自分の間にある違和を感じたまま、どうすることもできずにただそこにいる。


ドキドキぼーいずの革命的戦争♯05『愛と退屈の国』は、我々が暮らす「平和な日本」に疑問を投げかける作品であり、同時に、現代の若者の社会問題に対する遠い距離感、更にはその根底にある虚無感を浮き彫りにする作品である。
 物語は劇中劇という形式で進行し、俳優はそれぞれの役を与えられた「俳優」として舞台上に立つ。8人の登場人物は人間関係や人生についての個別の問題を抱えながら、戦争や震災を予感させる不安な社会情勢の中で生活している。彼らの状況は、ほとんどそのまま現代日本に生きる我々若者の姿と重ね合わせることができる。加えて俳優は、非口語的な口調で書かれたセリフらしい台詞を感情の起伏の見えない一定の発語方法で語り、その身体性は簡略化され、単純動作を反復し続ける。この方法は、この国に起きている大きな問題と、それを認識する俳優自身との埋められない距離感を、身体的な違和感として表現する。
作・演出の本間広大は、そのような遠い距離から社会を見つめる立ち位置に立つ人を、第三者よりもさらに遠いという意味で「第四者」と言う。それを示すためにテキストと俳優の身体性とのギャップを見せることを表現方法として選択したことの是非については置いておくとして、現代の若者の姿や感覚を真摯に描こうとすることは、とても意義深いことである。


公演パンフレットに書かれていることからも窺えるように、社会における「第四者」という在り方、社会問題と若者との距離感の遠さが大きな問題意識として提示されているが、その根底には、もっと本質的な、「自分」と「自分以外の世界」の間にある違和感が隠されているのではないだろうか。 
自分と世界とをつなぐスマフォを見れば、すべての出来事は同じ重さでタイムラインを埋め尽くす(卒業やばい、二万人が死んだ、彼は私を愛している、この国はもう駄目らしい、明日デートしませんか?)。遠くの国で人がたくさん死んでいく。総理大臣が話す言葉より、彼のネクタイの柄が気になる。なんであのネクタイ選んだのって、そんなことをツイッターでつぶやく。
目の前で人が刺された。その時、「第三者」は肉眼で事件を目撃する。「第四者」はきっと、そそくさとポケットからスマフォを取出し、小さなカメラのレンズ越しに事件を認識するだろう。
「自分以外の世界」に自らの肉体を通して直接的にかかわることが難しいのだ。


その現実世界の在り方は、劇場空間における観客の在り方と重ね合わせられている。
この劇では、目の前で起きている事件に対する「違和感」を観客に認識させるために、幾つかの異化効果が用いられている。まず、そもそも俳優は「俳優」として舞台に立っている。俳優は一人ひとりの観客と視線を合わせる。更には主な手法であるテキストと俳優の身体性とのギャップ(例えば劇中のアキオの台詞「アイシテル」は温度を持たず虚しく響き、カオリは「コドモガホシイノ」と叫びながら自らの手で口を塞ぎ言葉を遮る、というような)によって、観客は登場人物に同化することが不可能になる。本間広大は、これらの異化効果によって、第四の壁越しに劇を見ることを否定するとともに、観客が劇場空間における「第四者」となることをも否定した。
そして最終的に『愛と退屈の国』は、轟音と暗闇と異物の落下によって絶望的な終わりを迎える。しかし、劇中劇として始まったこの劇は、劇中劇のままで幕を閉じるのだ。では本来の劇はどこにあるのか?それは、我々が生きる現実世界に他ならない。

文・野村明里
同志社大学文学部美学芸術学科在籍

ドキドキぼーいず
ドキドキぼーいずの革命的戦争♯05

愛と退屈の国

演出
本間広大


出演
ヰトウホノカ
井戸綾子
佐藤和駿、
すっ太郎
松岡咲子
(以上ドキドキぼーいず)


勝二繁
諸江翔大朗
片岡春奈


日程
2015/05/13(水) ~ 2015/05/17(日)
5月13日(水)19:00
5月14日(木)13:00/16:00/19:00
5月15日(金)13:00/16:00/19:00
5月16日(土)13:00/16:00/19:00
5月17日(日)13:00/16:00



戦後七十年、日本は平和の国になったが、いつまでこの平和は続くのだろうか。
戦争を体験していない大人たちが、社会の中心となった今、日本はどうなっていくのだろうか。
少子高齢化、経済格差、憲法改正、国が抱えている問題はどんどん山積みになっていく。
その一方で、科学の発展により、私達には「見えないもの」がなくなった。
全てを可視化してしまうSNSによって、人間同士の繋がりは、とても軽薄になってしまった。
この作品は、今から十年後の日本を舞台に、これからの日本の背景や風景、そこに生きる若者たちの姿を描く。

4月
山下残『大行進、大行進』
アソシエイトアーティスト・ショーケースA

アソシエイトアーティスト・ショーケースB

5月
ドキドキぼーいず
田中遊/正直者の会
劇団しようよ

6月
キタモトマサヤ/遊劇体

7月

8月
西尾佳織/鳥公園
多田淳之介/東京デスロック
Hauptbahnhof

9月
木ノ下裕一/木下歌舞伎
はなもとゆか×マツキモエ

10月
したため
キタモトマサヤ/遊劇体

11月
桑折現
250Km圏内
努力クラブ

12月
あごうさとし
ブルーエゴナク

1月
田中遊
きたまり

2月
笑の内閣

3月
山口茜
笠井友仁
村川拓也
岩渕貞太