あした帰った 第1期参加者の声

担当者より:第一期の公演後、参加したメンバーで作品の振り返りを行いました。以下は、その率直な声をまとめたものです(参加者の一人が、まとまった感想文を送ってくれたので、それも合わせて掲載いたします)。「演技のスキルアップを目指す」ことを掲げているアクターズラボですが、伊藤拓也クラスでは、通常イメージされている演劇の稽古とは異なる創作プロセスをふんでいます。「思っていたのと違った」活動に参加した際の、参加者たちの苦悩や発見がここにあらわれていると言えるでしょう。日常のあくせくした時間から一旦距離をとり、「自分」や演劇表現にじっくり向き合ってみることで、自分の、他人の、世界の、違った側面が見えてくる……かもしれません。与えられた課題をただこなしていくタイプの講座ではないので、創作の過程は必ずしも明るく楽しいことばかりではないでしょう(8割方は楽しいと思います!)が、そこでの様々な発見には、何か、確かな喜びが伴うと思います。
「日常」に何かしらの違和感を覚えている方。まずは説明会・プレワークショップへのご参加、お待ちしております。

【反省会まとめ】
・照明がついて最初の立ち位置に向かっていくとき、どうやって歩いていくかを考えるとそれがもう難しかった。どういう風に見て欲しいか、という態度はもしかしたら受け身なのかもしれない。どういう状態で歩いていけるか、といったことが自分の中で問題になった。
・「自分」として見られていること。実際は必ずしもそうじゃないけど、「あれはあの俳優さん自身の言葉なんだ」という見方を観客からされるということ。その意義とは何だったんだろう。
・フィクション、物語上の悲しみには慣れているけど、悲しいニュースからは目を背けてきたことに気づいた。目を向けることが大事だと、今回強く思った。
・電車の中の他人に、今まで完全に無関心だったけど、実はこの人はこういうストーリーを抱えているのかもな、みたいなことに気が向くようになった。
・これまでやってきた演劇では、「観客とのコミュニケーション」を大事にしていた。今回自分は〈会話〉と〈演技〉のシーン(※第一期公演では、〈会話〉、〈報告〉、〈演技〉という演技の質の異なる三種類のシーンから構成されていた)を演じたが、心の方向性が定まらず、観客はどう感じているのだろう、観客とコミュニケーションはとれているのだろうか、と不安になった。どうやって舞台上に居れば良いのか、最後まで苦悩した。
・単純に、脚本が最初から決まっていて、やることが決まっている方が、気持ちとしては楽。
・舞台に立つ前に緊張するタイプじゃなかったけど、緊張した。自分の話を舞台上でするということに対する不安があったのかもしれない。
・「自分そのもの」ということよりも、「集団の中で、社会の中での自分」はどういうものなのか、発見する機会になった。

【参加者による感想文】
応募の動機は、忙しい毎日の中で演劇と向き合うということから長い時間遠ざかっていて、もう一度何か見つけられるのか、何となく自分を試したかったから、という気持ちでした。漠然としていた気がします。


ラボが始まってからは、疲れ気味の仕事帰りに、いかに自分の純粋さを掘り起こすができるかが問われる日々でした。様々なワークやゲーム、わらべうたやエッセーに向き合い、表現につなげるといった内容に、柔軟な発想ができなくて面倒に感じてしまう時もありました。
私たちがテーマに対してどう考えるかを話し合うという時間もかなりありました。目をそらしておきたかった自分自身の苦い思い出も心の隅までほじくり返す必要があり、稽古への足取りが重かった日のことも覚えています。 


そして、コロナ。不要不急かもしれない演劇をどう捉えるのか、表現者の誰もがぶつかるであろう葛藤に、私たちも直面することになりました。オンラインでも対面でも、話し合いを通して、私たち自身の意見を求められました。


私自身は、コロナを包括してしまうほどの公演をしたいと思っていました。感染対策を徹底することさえ、演劇の一部になるような。マスクの日常でさえ、それを表現に変えてしまうような。


公演という形にたどり着いたとき、プロのスタッフさん、1年以上コーディネートしてくださった制作の飯坂さん、そして何より、コロナ対応含め、すべてをまとめあげていただいた演出の伊藤さんに感謝しかありませんでした。


華々しいような、感情移入に酔いしれるような演技の機会はなかったけれど、1年以上コツコツと話し合いで積み上げてきた、今まで生きてきた自分や、自分と関わる人たちの人生を見つめ直し、受け入れるような結果がコラージュされた舞台になっていました。決まったセリフではなく、一人一人が主体的に考え、発した言葉で舞台が作られたのです。逃げたくなったり不安になったりもしましたが、出演者がそのままの一人の人間として現れることで、唯一無二のリアルな時空間が成立したと思います。本当に自分自身が試されました。


日々流されてしまいがちな、命や時間と向き合う貴重な機会をいただいたと思います。本当にありがとうございました。